ラスタとして生きるー12 ジャー・ヒロ

僕の人生に芯のようなものがあるとすれば、それは自由と正義。愛も平和も反差別も反戦争も同じように大事なことと思うが、個人的に言えば、どうしても妥協できないことが自由であり、正義である、と思う。特に自由は僕の中で空気が人に必要なように、必要なもの。それを犯される時には黙っていられない、もしくは逃げ出してしまうことが過去には多くあった。

 正義と程遠い間違った行為にも本能的に戦う気持ちが昔からあった。こういう気性だから、或る意味、社会に適応できず、転々といろいろの世界に首を突っ込む人生を送ったのだろう。でもそれを中学生の時に看破し、また願ってもいたのだから、問題の根が深いと思う。生まれた時から誰かに人生の方向をセットされていたのかもしれない、とさえ感じる。

 ラスタファリも、ボブ・マーリイを通して、特に自由と正義に対するこだわりに共感している。貧しい人々を社会のシステムの犠牲者ととらえる彼等の思想に全面的に賛成だ。最近見たドキュメンタリー(南米に逃亡。ボリビアの軍事政権に協力して反政府運動の弾圧、拷問に手を貸した、ナチの虐殺者、バルビーの驚異的人生を描く)の中で、或る人物がとてもショッキングなことを言っていた。それはアメリカのことを「キリスト教原理主義国家」と表現したこと。潜在的に僕も同じようなことを感じていたが、言葉に出てこなかった。それがこの言葉。アメリカの本質をずばりついていると思う。イスラム原理主義の連中と鏡のこっちと向こうで瓜二つの連中が、同じような発想で世界を変えようとしている。そう感じた。

 そんなアメリカで生まれたのが「貧乏人は努力が足りないからだ」という能天気な思想。うこれは生まれた時、同じ出発点(金や社会的環境等々)でなければ成り立たない思想だと思うが、そんな配慮もなしにこう言えるのは、奴隷時代に南部の牧師が「黒人は白人に仕えるために神に作られた」と平然と説教した事実と共通した無神経な思想だと思う。ラスタファリは、ボブは、そういう欺瞞的体制を打ち壊そうと戦っていると、僕は感じる。この戦闘的かつ非妥協的なところが大好きなのだ。これは個人的なラスタファリズム観とも言えるが、根本的に間違っている、ということはないだろう。この前のチベットで撮られた非合法的ドキュメンタリー映画「ジグデル」の上映会にチベット語のレゲエが流れ、その中で「ジャー・ラスタファライ」と歌われていた。その瞬間、僕は感じた。自由と正義を希求するラスタファリだからこそ、チベット民衆の胸の中にもしみこんでいったのだろうと・・・。

 僕の言葉に異常な過激さと反社会性を、もしあなたが感じるとしたら、それこそ本望とも言えるだろう。ボブ・マーリイがヨーロッパでアメリカで与えた反社会的イメージの強烈に比べたら屁でもない話さと、僕は笑ってしまう。考えてみると、前の章で紹介した南正人。彼も、マリファナも大好きだけど、やはり自由と正義を芯に生きてきた人だと思う。その人生観を押し通すために、何度も何度も入獄したが、それは彼の人生に必要なことだったのだろう。それで思い出したけど、もう一つ僕が好きな信条が「無謀さ」。僕と彼と共通するものの一つがそれと、今、気付いた。旅も行き当たりばったりが好きで、ヨーロッパにも、アメリカにも、ジャマイカにも、その流儀で行って、馬鹿な苦労をしたが、南さんも似たような思いを一杯しているはずだ。

 人生はどういう生き方をしても、最後にはつじつまが合うもの。チェ・ゲバラの無謀な冒険的人生も、それを強行したが故に一人の神話的人物が人類にプレゼントされたのだ。坂本竜馬も、また人気が出たようだが、やはり彼も、僕は、無謀な人生の人だと思う。無謀にも脱藩し、無謀にも日本で初めての会社を作り、無謀にも天敵の如く憎しみあっていた薩摩と長州の同盟を実現させた。そして孤立無援で生きたらこそ、バビロン・システムの中に巣くう悪魔に殺された。そして永遠に愛される日本人の純真無垢なヒーローとなった。

 自由と正義。これを失ったら社会も人類も堕落して、共食いするしかなくなるだろう。その見本が今の共産中国。チベットやそれ以外の少数民族の大地や文化や人間を、狂ったイナゴの群れのように喰い散らしながら、あの「千と千尋の神隠し」の冒頭で両親が脂ぎった食い物をむさぼる末に豚になったように、転落していくだろう。最近公開された(天安門事変で失脚した)趙紫陽の日記に「中国に革命が起きるだろう」と予言されているらしいが、腐りきった社会体制の行く末は破滅しかないのだろう。

 自由と正義を愛し、損な生き方をする男。そういう馬鹿な奴が大好き。友人の知り合いにそんな男が一人いた。ある時彼が言った言葉に驚いた。「最近、知り合いから転居通知がきたんだすよ・・・」「ふ〜ん。どんな人?」「いやね、公園で暮らしているんだけど、別の公園に移ったという転居通知ですよ」「へえ〜、そいつはいいや」 その男は子供の頃からの彼の友人で、「小学生の頃は、ランドセルにヌンチャクとシンナーだけ入れて、学校通ってました」と言った。そして青年になって、なんだか事情は分からないが、好きな女性を救うために、ヤクザの事務所に殴りこみをかけ、刀を振り下ろされたのを「真剣白刃とり」で受け止めようとして、腕を切られたという。そういうエピソードをふりまきながらの短い人生を送った。彼は数年前に、そんな人生にふさわしくないように、病死したらしい。僕はこういう、気違いというか、熱い人は大好きだ。もうあまりこういう人には出会えなくなったなあ。

 でもレゲエの面白さ、そしてジャマイカの魅力に言及すると、ここにはこういう人が一杯いるんだなあ。これも僕がレゲエやジャマイカを好きな大きな理由。昔、今は亡き、岡本太郎が好きだった。彼が滅茶苦茶のことを言うのが好きだった。「人生は爆発だ」という口癖も、「人生は爆発して、爆発して、爆発して、気がついたら死んでいた、というのがいい」という言葉も大好きだった。自由という言葉の中で生きる無数の無茶で無謀な人達のすべてを僕は愛している。